2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
はみだし者をはみだしたまま管理するのがこれからの命題だ。
私の人生は縦書きだ。
なにをしようと好きにすればいいとは思うが、どうにかしようだなんておこがましいことだけは考えないことだ。
神に祈ることがあるとすれば、もうちょっと私のことをかまってほしい。
考えてみれば、我が人生にはライバルがいない。どうりで盛り上がらないわけだ。
どんなに過激で極端な言説でも、冷静かつ理性的な口調を保てばそれなりに説得力を帯びる。「つまるところ、民衆とは豚なのでございます。適度に満足感を与え、肥え太らせなければ美味しく頂くことは出来ないのでございます」。
最近流行りのチート系Web小説を読んでいると、多くの作品がいつしか国家の権謀術数サスペンスに足を取られて当初の魅力を失っていく。これを謀略スリラー症候群という。
現実社会において過激な言説を振りかざす者は、往々にして異端視される。相手をこき下ろして悦にいるような輩は、しょせん妄想の英雄だ。
図書館へ行って歴史の棚を眺めれば、騙された正直者の記録でいっぱいだ。
気分的には、世界はもう終わってる。
たまにはセリフの用意されていない一日もいい。
謝罪は虚空に向けて。
ヘラヘラしたツラで他人から褒められる筋合いなどないのだ。
あらゆるものに意味がある。だが、べつになくてもいい。
思い返してみれば、ここしばらくコーヒー飲んでタバコ吸うだけの生活しかしていない。珈琲煙突だ。
今後とも自分の髪の毛とは微妙な距離感を保って付き合っていきたい。
天罰はいつ襲ってくるかわからないからこそ恐ろしい。
いいことをしても悪いことをしても、後悔はやってくる。
我々に与えられた自由は捨て去る自由のみであって、摑み取る自由ではない。そもそも、それを与えられたことすらないのだ。
都合の悪い真実にかまっているような余裕はない。
努力は身体に悪い。
ネットを己の肉体の延長線上にある外部装置とするならば、やはり疑ってかかるべきなのである。
おつむで大切なことは知識量ではない。締まり具合なんだ。ゆるゆるとかガバガバとか、そういう話だ。
生きるってのは戦うか諦めるかのどっちかで、やり過ごすって選択肢はない。
これは訓練ではない。これもまた人生である。
大切なのはサボる努力。
誰が役に立つことなどするものか。
ビッグウェーブはもういらない。
たどり着くべきはここだった。そして居場所はなかった。
ミジメさは出来るようになってから嘆け。