2011-01-01から1年間の記事一覧

私が私であることをやめたら、いったい誰が私をやってくれるのだろうか。途方に暮れる。

非常識? けっこうなことで。

やり直すのは明日でもできる。

万里を駈けてひたすらサボる。

萌え死ぬというのは、どうも大衆に迎合しているようでイヤだ。せめて、萌えくたばるとか、萌え身罷る。萌え息を引き取るとか、萌えお隠れになるとかも良い。

困難に思えても、やってみれば意外にできる。たいていのことはそうだ。

後世の歴史家は言うであろう。「shingofgg? そんな奴は知らん」。

新世界より

忘備録として記す。 8月24日。カッとしてPC注文す。dell。inspiron620。モニタ同梱版也。なににカッとしたかは、いまとなっては知る由もない。 9月2日。到着す。梱包されたダンボール箱のあまりのデカさに辟易す。玄関横にうっちゃる。 9月8日。いいかげん処…

絶賛よりも、ひと握りの優しさが欲しい。

私が得意なのは人の話を聞いている振りをすることであって、人の話を聞くことではない。

おれのジャマをするものは、何人たりとも避けて通らせて頂きたく御座候。

良心とは、打算と欲得との婚姻関係にある。

言われなくてもわかっているとしても、言わなければならないときもある。好きとか、嫌いとか。

これまで色々あったが、やっぱり今がいい。

ヒトとして大丈夫かと思うが、生き物としてAll green.

良いも悪いもない。しかし、あるといえばある。

今の私があるのは、すべて私自身の努力の成果である。誰に感謝しなければならない謂れはない。それでもなおかつ、私はすべての民に言う。「ありがとう」と。

私に愛を告白された方、先着10名様には、もれなく粗品がプレゼントされるであろう。

いいやつばかりが集まったからといって、物事がうまくいくとは限らない。イヤなやつも必要なのだ。私のように。

誰も信じてはくれないのだが、私は幼稚園の保父さんになりたかった。

月日が経つのはあっという間だが、誰も私を止めることはできない。

私の充電はいつになったら終わるのだろうか。

私は逃げも隠れもしない。ただ家から外に出ないだけだ。

人生っていうのは、前に進んでいくものなのか? それとも、上に向かって昇っていくものなのか?

誰にでも間違いはある。多いか少ないかは別問題として。

最近、疑問に思うのだ。ひょっとすると、自分はモテないのではないだろうか。

窮地の少年よ、私を呼びたまえ。私にできることは見守るくらいだが。

いいことなんてなにもないと言っているそこのアナタ。ならばなぜ笑っているのだ。

迷える子羊よ。迷うくらいならば外へ出るな。家にいろ。

未来永劫、バカまっしぐら。