壁は迫りきた。

 さて、四月ですね。今年もまたこの季節がやってきました。そう、新学期シーズンです。新入生のための教科書を各大学までお届けせねばなりません。私はそういう仕事をやっています。朝出社したらすぐさま車に乗りこみ、高速道路をぶんぶん走りまわって書籍を配達していくのです。そして私はこの高速道路というやつが怖くてたまりません。壁が迫ってきますから。
 もともと私の趣味といったら本と車の運転くらいなもので、趣味と実益を兼ね備え、双方の知識技術を活かせる職を選んだら現在の職場にたどり着きました。ちなみに以前は花屋に勤めておりました。花のアレンジなんかを作って依頼の場所に納品してくるお仕事です。よく開店祝いの花かごとかありますよね。あれです。こっちの方は車はいやになるほど運転させてもらえましたが、残念なことに私は花の美しさなんてものに興味がなかったんでやめさせていただきました。センスもないのにああいう職人的な技術職に手を出してはいけませんね。よけいに花がきらいになりましたよ。
 とまれ好きなことをふたつも仕事にしているわけですから文句をつける筋合いでもないんですが、今年は唯一高速道路だけが恐ろしくてなりません。壁が迫ってきますから。
 代官町から首都高に乗り入れてすぐの三宅坂トンネル内では羽田方面と新宿方面に向かう車線の分岐点があります。詳しい人なら思い浮かぶでしょうが、新宿方面に分岐をとると道は大きなS字カーブを描いているのです。しかもカーブの終端でちょうど左車線からの合流口があるので、通常走っている車は二車線あるうちの右側車線を走り抜けることになります。ときどきね、ここの車線をトロトロと4、50キロほどの速度で走ってるおのぼりさんがいるわけですよ。まあだいたい安全第一のお年寄りか、携帯電話片手に談笑中のうすらバカなんですけども。
 思えば昨年夏のことでした。あの日も三宅坂トンネル内で新宿への分岐点手前から妙に渋滞しているなと思ったら、案の定トロトロ走っている車に遭遇です。トラックやバスならまあしょうがないわなってあきらめもついておとなしくうしろについていくんですが、見ればエメラルドグリーンのファンカーゴだかtoppoだかのちっこい車です。後続の車はもどかしそうにいったん左車線に車線変更したあと次々と追い抜かしておりました。たまたま私の運転する車は渋滞の最後尾あたりにつけていたのですが、十台以上の車がむりやり追い抜いていくのに問題の車はまったく我関せずとトロトロ走り続けていたわけですよ。そっちがそういう態度にでるならこっちだってぐいぐい追い抜いちゃうもんねと私が左側によってアクセルを踏みこんだちょうどそのとき、あろうことかあのうすらバカはいきなり左車線に割りこんできたのです。まったく信じられません。右に急ハンドル切るのはあたりまえじゃないですか。その結果として後輪がスリップを起こしたとしても、誰に責められる謂われがありましょうや。
 一度滑りだしたタイヤは容易に路面をつかんでくれません。逆ハンを切れば今度は反対側にスリップしていきます。横転しなかっただけましと思ってほしいくらいです。それでもね、なんとか50メートルくらいは走って車の体勢をまっすぐに戻したんですよ。あのまま走り続けてれば危なかったーのひと言ですんでいたんです。けれども残念なことにあの道は大きなS字カーブだったのです。そう、気がついたときには壁が目のまえに迫ってきていたのです。
 あれからほぼ十ヶ月、事故直後衝突の跡生々しかった外壁はいまは塗装もし直され、余人が見ればかつてここで憐れな好青年が九死に一生を得、あわや日本の将来に大きな禍根を残すことになりかけたなどとは想像もつかないだろう。しかしこれを読んでいるあなた。そしてその道ならばよく通る見知った場所であるというあなた。感謝の思いを抱いてほしい。この国の未来が保たれたことを。そして祈ってほしい。私の無病息災を。