災いなるかなバビロン


 お仕事にて赤坂界隈を移動中、前方より歩いてきたインド系の女性と目が合う。恐ろしくスタイルのいい、きれいな人だと一瞬見とれてしまったのが運の尽きで、すぐさま目をそらせたものの、案の定、道を訊ねられる。
 いったい、私はなぜか外国人さんから声をかけられることが多い。それも日本在住ウン十年、朝ご飯に納豆みそ汁は欠かせません、なんて親しみやすさ爆発の外国人ではなく、たったいま成田からやってきましたってくらい鮮度抜群の観光客ばかりで、当然日本語なんてスシフジヤマゲーシャくらいしか知らないようなハイレベルのおのぼりさんから決まって声をかけられる。
 ついこのあいだも秋葉原ヨドバシカメラで買い物をしていたら、いかにもリオのカーニバルなんかでものすごい格好をして踊り狂っていそうなアフロの黒人さんに腕をつかまれ、ソフマップ! ソフマップ! とでかい声で連呼されて往生したばかりだし、そのまえには自宅近所でケンカ騒ぎがあった際、引っ越してきたばかりのフィリピーナのお嬢さんふたりが、どういうわけかまったく関係のない私の部屋の戸を叩き、コワイコワイと助けを求めてきた。おもてから聞こえてくるケンカ騒ぎはどう聞いても日本人のおっさん同士のものだし、ヘタに応対すると私のもとに入りびたられそうで、こっちの方が怖かった。
 こんなときのために英語くらいは話せるようにならないとと、何年かごとに思い出したように英会話の参考書などを買ってきたりするのだが、生来の勉強嫌いもあって、たいていは『はじめに』と題された心得部分を読んだだけで投げ出してしまう。
 そもそも、英語の重要性を認識したきっかけからしてトラウマとなっている。15年ほどまえ、大学に入りたてだった私が通学のために電車に揺られていると、隣に立っていたパキスタン系の男性がネクストマチヤ?と訊ねてきた。
 いまだったら、ちらりと一瞥してダミ声でイエスと返すだけの器量を備えているが、当時の私は高校を卒業したばかりでほんのりとピンクがかったキャンパスライフを夢想してやまない十代のうぶな美少年である。ただでさえ大きな目を見開いたギョロ目で早口にマチヤマチヤと繰り返す外人のおっさんは、私にとって恐怖の対象以外のなにものでなかった。しかも、場所は轟々と唸りをあげて突進する電車内。周囲にいる人々に目を向けても誰もがうつむき、そのくせことの成り行きに興味津々なのが手に取るようにわかる。
 衆人環視のなか逃げ場もなく、おっさんはおかしなイントネーションでマチヤを絶叫している。とにかくなにか答えなければこの状況を脱することはできないと悟った私の口から出た言葉は、イエスアイドゥーであった。いったいなにができるというのであろうか。
 パキスタン系の男性はぴたりと黙り、電車内が奇妙な静けさに包まれたのち、どこからともなくくすくすと響いてきた忍び笑いを、私は一生忘れることはないであろう。私と外国人観光客との飽くことなき闘争のはじまりである。
 本日出会ったインド系の女性は、赤坂駅への案内を御所望なされた。
 私は満腔の自信をみなぎらせて目のまえにある地下鉄入り口を指さし、張りのある声で「アカサカステーション!」と叫んだ。
 言葉の通じない相手に対するもっとも有効な応対手段は、相手よりもでかい声を出し、自信を持って身振りで示すこと。これである。