帰ってきたアイツ。

 それを見たとき、思わず棚のまえでウソ!とつぶやいてしまった。菊地秀行新・魔界行 魔群再生編』(ノン・ノベル)である。20年ぶりの続編刊行らしい。前作『魔界行』の初版が昭和60年で、西暦になおすとえーと1985年だから、たしかに20年たってる。もっとも私が読んだのは、中学三年生当時だから、すでに刊行から五年ほどたっていたわけか。歳がばれてしまうな。
 十五年前の私は、小説といえば世界には菊地秀行田中芳樹しかないと思っていたほどのまさしく愚か者で、次から次へと出版される菊地秀行作品を読む他は(なんと一ヶ月に三作品刊行ペースだ!)年に一冊書き下ろされる田中芳樹創竜伝』(講談社ノベルス)を首を長くして待つといった日々を過ごしていた。思春期もまっさかりのいろいろとむずかしい年頃の少年が、夢枕獏平井和正志水辰夫も知らずによく生きていけたものだ。山田正紀すら知らずにいたと思うと、もはや死ななかったのが不思議なくらいである。
 とはいえ、それだけ濃密な読書体験を送ったことも事実である。菊地秀行がノン・ノベルでいまも書き続けている「魔界都市ブルース」シリーズでは、畑野賢一版秋せつらと末弥純版秋せつらの炸裂的な落差に悶絶したことが印象深い。田中芳樹の著者近影写真の生え際をミリ単位ではかってほくそ笑んだりした。『妖獣都市』がアニメ化されていると知って借りてきたものの、観てみたら『妖獣教室』だったなんてこともあった。
 あれほどまで読んでいた菊地秀行をいつから読まなくなってしまったのか記憶が曖昧なのだが、気がつくと新刊を見かけてもふーんですますようになり、田中芳樹にいたっては原作田中芳樹という文字を見ると肉体が拒否反応を示すまでになってしまっている。いつだったか田中芳樹論を書こうと思い立ち、三分の二ほど書いたところで罵詈雑言以外の何物でもないと気づいて筆を置いたことがあった。深すぎる愛情は憎悪と紙一重なのだ。菊地秀行の場合は憎悪とまではいかないものの、刊行点数と比例して読書量も多かったせいか、ある時点で一生分の菊地成分は摂取したから今後は読まないと決めてしまった。例外はトクマ・ノベルズで「妖獣都市」の続編が出たときだが、文章のあれがひどく、幻滅だけが残った。
 今年は『魔界都市<新宿>【完全版】』(ソノラマノベルス)にはじまり、夏以降は名作『風名はアムネジア』、『インベーダー・サマー』を合本にした『インベーダー・ストリート』(同)、そして「魔界行」三部作を合本にした『魔界行 完全版』(ノン・ノベル)の刊行と、なにやら過去作品の再評価がはじまっていると思ったら、年の瀬も近づいた頃にいきなり続編『新・魔界行』である。さすがに読まないわけにはいかんでしょってわけで、買いましたよ。そんでもって読みましたよ。
 具体的な感想はシリーズ終了までとっておきたいが、この一巻に関していえば主人公南雲秋人とヒロインの逃避行だけでも読む価値はあったといっておこう。前作では家族を殺された復讐の途上でどれほどの苦痛を味わおうと、強化人間としての己を見つめ「これは訓練だ」のひと言で片づけた男が、二十年たったいまでは恋人と湖畔の別荘に身を寄せ、ギター片手に自作のバラードを弾き語ってしまったりするんである。しかもその曲のタイトルがまた……、いやこれ以上はやめておこう。これから読む人の興を削いでしまう。気になる方はぜひとも自分の目で確かめてほしい。きっと損はしないはずだ。
 楽しくなって参りました。