心せわしきこの世のなか、傾いてごらんにいれましょう。(其の終)

 さて、これまで四回にわたってろくでもない文章を書き散らかしてきましたが、ご安心ください今回が最後です。
 そもそも、何回にもわたって前田慶次郎関係の小説を紹介しているのは、ひとつの話題でなるべく尺を延ばそうという浅ましい考えが第一なんですけれども、もうひとつ、実在した人物の実際にあった出来事をモチーフにそれぞれの作家がどういった小説を書いているのか読み比べたいと興味がわいたからであります。つまり、同じ内容を語りながらも各人それぞれが違う物語を綴っている、その職人芸を味わいたかった。隆慶一郎ならば暴力と権謀が支配する戦国の世にあって、その双方を併せ持ちながらも平然と天下取りなど興味はないと言ってのけた反骨の男の気高さ。海音寺潮五郎の時代を傍観し風流を追求する雅さ、そして南條範夫のただひたすらに暴れまわる豪快さ。村上元三だけは事情が異なって、史実を用いずにひと味違う前田慶次郎像を作り出そうとしましたが、その可否はどうかとしてもなかなか印象深い物語を描きだしました。
 そんななか、今回脇役としての登場ながらどうしても取りあげたいのが、山田風太郎叛旗兵』(廣済堂文庫)です。前四作品ではおおむね実際の歴史にのっとって前田慶次郎の人生が語られてきましたが、この作品では山田風太郎持ち前の奇想天外、奔放な空想力を活かして関ヶ原以降、天下が徳川に移ってからの上杉家に仕える前田慶次郎が描かれます。ここでの慶次郎は、『一夢庵風流記』などの結末近くでも描かれていた頭を剃りあげたこくぞう院ヒョット斎と名乗る入道姿で登場し、同じく関ヶ原で上杉家に仕えた車丹波、上泉主水らとともに直江四天王としてお家の大事に豪快無双な活躍を繰り広げます。戦国のいくさ人としての面魂を最後まで失わず、太平の世に無聊を囲う慶次郎がユーモラスと同時に、いくさとなれば本来の己を取り戻したように暴れまわる姿がどこか切なくうつります。はずれなしといわれる山田風太郎作品のなかでも佳作といえる作品なので、興味のある方は是非とも一読をおすすめします。ちなみに同じ山田風太郎の『妖説太閤記』(講談社文庫)でも、前田慶次郎の姿をご覧いただけます。もっともこちらは本当にちらっとで、上下巻あるうちのせいぜい3、4ページにすぎないのですが、恐ろしく鮮やかな出演となっております。さらにいえば、こちらの作品は数ある山田風太郎の著作でも紛う方なき傑作ですので、全人類必読。
 しめくくりは短編で。大佛次郎「丹前屏風」(新潮文庫時代小説の楽しみ8 戦国英雄伝』収録)。晩年の慶次郎を恬淡とした筆致で綴った胸に染みいる珠玉の一品です。残念なことに今回取りあげた作品中唯一の品切れ絶版本で、なおかつ古本屋でもいささか見つけづらいのですが、前田慶次郎というキャラクターを深く知るには外せません。
 こうして見てみると各作家がそれぞれ陰影ある前田慶次郎像を作りあげており、それを堪能するだけでも読んだ甲斐があったというものですが、なお驚くべきことはその歩留まりの高さでしょう。質と量からいっても隆慶一郎一夢庵風流記』が頭ひとつ抜きんでているとはいえ、おおよそどの作品を読んでも水準越えではずれがない。それだけ錚々たる作家が揃って取りあげているといえるのでしょうが、個人的な印象を敢えて唱えさせてもらえば、前田慶次郎という人物それ自体が、生半な作家ではとうていその魅力を引き出すことができない複雑な色彩を持っているとはいえないでしょうか。戦場においては悪鬼のごとき活躍を見せ、一方で源氏物語を諳んじ、無類の酒好き女好き、貴賤の別なく人前では傾いてみせ、常に己の心のままに。「寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起きる。九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるまでいきたらば、死ぬるでもあらんかとおもふ」。こんな言葉を遺している人物を一本の小説のなかに描ききるのは並の力量でこなせる技ではないでしょう。
 そして、前人が見事に描ききった前田慶次郎を、『戦国BASARA』というゲームの世界で縦横無尽に操り楽しむことができる。これを愉悦と言わずしていかにして人生を前向きに生きていくことができましょうか。

戦国BASARA2

戦国BASARA2