全盛の君あればこそこの廓は花も吉原月も吉原

 読書の快楽をおぼえて早二十年、市井巷間の乱読活字中毒者としてちっとはツラを誇ってもいいんじゃねえかとうそぶいているぼくですが、山田風太郎ほど女性を描くことに長けた作家を知りません。その奔放にして大胆な想像力、確個とした歴史観のうえに構築された網の目のように緻密な時代考証、繊細緊密でありながらも有無を言わさぬ説得力を持った豪刀のような文体、そして人の世の有為変転をときに慈愛をこめ、ときにあざ笑う透徹とした人間観。どれもこれも山田風太郎の魅力ですが、そのなかでもぼくが個人的にひとつ選ぶとしたら、作中に哀しく美しく描きだされる豊かな女性像でしょう。
 まったく山田風太郎は、悲哀に満ち運命にもてあそばれる女性を描くときほど、筆が冴える。たたかいのなかで果ててゆくくノ一の燃えあがる美しさ、陵辱される娘の匂い立つようななまめかしさ、色欲の地獄に堕ちた遊女の飛沫立つがごときあでやかさ。おなじ人間を書くときでも、男の場合は死のうが刀を振りかざそうがどこか突き放した書き方をして、それがかすかな滑稽味を醸しだしているのにくらべ、女のそれは心の底から真摯に書ききっています。だからこそ、山田風太郎の物語に登場する女性キャラクターはどれも愛おしい。
 『妖異金瓶梅』(扶桑社文庫)の稀代の毒婦潘金蓮。『太陽黒点』(光文社文庫戦艦陸奥』収録)の堕ちたる聖母土岐容子。そして言うや及ばず『甲賀忍法帖』(講談社文庫)の朧。
 長編の主役だけではありません。『八犬傳』上下(廣済堂文庫)では滝沢馬琴の息子の嫁にして、畢生の大作「南総里見八犬伝」を馬琴晩年に口述筆記したお路。『忍びの卍』(講談社ノベルス)の許嫁を慕ってどこまでも追いかけてゆくお京。短篇「捧げつつ試合」(ちくま文庫くノ一死ににゆく』収録)に登場するヒロインおふうの姿などは、ツンデレツンデレとさわぐライトノベル読者にこそ読んで欲しいのであります。恋い慕う上役忍者の遺命にしたがって切断した彼の男根を握りしめ、お務めに殉じてゆく甲賀くノ一、これ以上に強くけなげなヒロインがいるものか。
 山田風太郎が生涯に上梓した作品はおよそ百二十冊。そのうちぼくが読んだものは、いまのところ約半分。このなかでもっとも女性が美しく描かれている作品はといえば、まちがいなく『女人国伝奇』(徳間文庫『妖説忠臣蔵/女人国伝奇』収録)を挙げます。
 19世紀前半。徳川幕府の灯火が最後に燃えさかった時代に、爛熟と退廃、絢爛と喧噪が極限まで拡大した遊郭吉原を舞台にして、そこに生きる遊女たちの意地と張り、貴高さと哀しさを謳いあげた連作短篇集なんですが、ここに登場する女たちのなんと眩いこと。
 抜群の美しさと聡明さで吉原の頂点にまでのぼりつめ、お忍びでやってきた大名でさえもすげなく追い返すほど誇り高い花魁薫と、彼女に入れこんだあげく破産した青年の壮絶な恋の駆け引きを描いた「傾城将棋」。惚れた侍が公儀お尋ね者として捕らえられ斬首されると聞き、ならばせめて潔い刑を受けられるようにと身を投げ打って奔走する「剣鬼と遊女」の新造小稲。圧巻は「簫簫くるわ噺」の山弥です。もとは侍の娘でありながら意固地な父のくだらない見栄のために遊郭に売られ、浅はかな男の浮気が原因となって吉原随一の花魁薫にたてついたばかりに最下層の女郎にまで貶められた彼女が、最後に辿りついた心の深淵。その黒々とした虚しさをまえにしては、しょせん男の強さや優しさなどは女にとってなにほどの役にも立たないということを実感せずにはいられません。
 陰影に陰影を積みかさね、幾重にも襞を織りなした感情を持つ遊女たち。映しだす角度、光の加減によって千変万化の表情を見せる彼女たちこそ、風太郎が描く女性美の最高峰といっていいのではないでしょうか。