ダメな男の砂糖菓子です。

 あと一週間もすると書店店頭にならぶ角川文庫の新刊だが、個人的に目を引いたのが藤原伊織の『テロリストのパラソル』。1995年の第41回乱歩賞を受賞した作品で、これまで講談社文庫に収録されていたが、新しく角川文庫でもでることになったらしい。
 私は講談社文庫版も持っているし、のみならず一番最初に出版されたハードカバー版もなぜか二冊所有しているが、この角川文庫版も書店で見つけたらきっと買ってしまうんだろう。つまりはそれぐらい大好きな作品だということだ。
「十月のその土曜日、長く続いた雨があがった。」というさりげない一文で幕を開けるこの物語を、私はいままでに少なくとも30回ぐらいは読み返し、さらにはどうにかして文体をマネできないかと、はじめからおわりまで一字一句タイプしたこともある。いまにして思うとかなり恥ずかしい思い出だが、それだけに、日本一の「テロリストのパラソル読み」を自認していた。
 なぜ過去形かというと、あんなに読んだにもかかわらず、いま内容を思い出そうとしたらしょっぱなから主人公の名前を忘れていたからである。とにかく好きなんだということだけはわかってもらいたい。
 西新宿の路地でうらぶれたバーを経営する主人公島村は、大学生当時、学生運動の渦中で起こした事件により指名手配を受け、以来二十年以上も素性を偽って孤独に暮らしてきた過去がある。すでに世間から忘れ去られたいまも社会との没交渉を続けていた彼だが、ある日、新宿公園で起きた爆発事件に巻き込まれたことから日常は一変する。とっさに現場から立ち去ったものの、遺留品のひとつに彼の指紋が残っていたために再び警察からの逃亡を余儀なくされ、同時に理由もわからないままにやくざから襲撃を受けたのだ。そして爆発の犠牲者のなかにかつての学生運動時代の親友と恋人だったふたりの名前を発見したとき、主人公は追われるだけだった立場から、二人を殺した陰謀を追う側へと踏み出すことを決意する。そこで彼は、おのれの過去をからめとる悲しい運命の輪を目撃することになる。
 はじめにいってしまうと、この物語、かなり地味である。派手なのは冒頭に起こる爆発ぐらいなもので、あとは主人公の過去の回想シーンが全体でも少なくない分量を占め、作中の主人公の行動も死んだ人間の足跡をたどっていくことで真相へ近づいていく構成なので、臨場感に満ちたサスペンスというものは存在しない。さらにいってしまうと、ぶっちゃけ話に無理がある。いくら主人公が東大出だとはいえ、頭の回転速すぎだろといいたくなるし、展開につまって強引に会話で物語を進めてしまう箇所などもいくつかある。つまるところ、わりと行き当たりばったりな展開を文章の良さで覆い隠しているわけだが、藤原伊織の語り口のうまさは、この構成上の短所を補ってあまりある。それぐらいうまい。
 前回にとりあげた志水辰夫も現代ミステリー作家屈指の文章巧者だが、志水辰夫の文章を巧みな比喩と情感溢れる心理描写だとすれば、藤原伊織の文章はその場の風景をダイレクトに心理描写に融合させる状況設定のうまさだといっていい。鶏犬相聞こゆというやつで、風が吹き、日の光が射す、ただその描写だけでそこにいる人物の気持ちのありようまで描きだしてしまう。だから藤原伊織の文章を引用しようとすると非常に困る。さきほどあげた冒頭の一文からも明らかなように、それだけ抜きだしてもさっぱり良さが伝わらないのだ。ストーリーと絡めて読むと、その味わいが驚くほど胸にしみこんでくるのだけれど。
 文章のすばらしさは藤原伊織の著作に共通する要素として、この作品には過去への懐旧という視点が他の作品以上に濃厚に漂っているところに注目したい。
 主人公はアル中寸前のうらぶれた四十路男として描かれ、ハードボイルドの定石として自己憐憫たっぷりの一人称形式で物語られるのだが、そんな男が若かりし頃の思い出を語るのだ。その昔話のなんと美しく、せつなく、胸を締めつけてくることか。全学連世代のマスターベーション小説、おっさんの読むハーレクイン。本作にあたえられた批判の声だが、私にはこれこそ本作の魅力のほどを的確に突いているように思える。思い出はいつだって美化され、甘酸っぱい香りをはなって語るものを恍惚とさせる。社会全体が揺れ動いていた熱い時代の思い出となればなおさらだ。
 『テロリストのパラソル』と題されたこの物語は、だれの胸の内にもある懐かしさと感傷を呼び起こす。どうか夢見るような気持ちで読んでほしい。


 この稿を書いている最中に、作者藤原伊織の訃報を知った。個人的にとても大切な作家をひとりなくした。